ワールドカップストーリー: アントワーヌ・グリーズマン

グリーズマンは、フランスのマコンで、ドイツのミューンスターに起源を持つ父と、ポルトガル系の母親の元に生まれた。ポルトガル系の祖父アマロは、かつてポルトガルのFCパソス・デ・フェレイラでディフェンダーとしてプレーした。その影響で、グリーズマンも幼い頃は、休みをパソス・デ・フェレイラで過ごしたのだった。

そうした祖父の影響で、グリーズマンもフットボールに興味を持ってもおかしくはない。だが、最もグリーズマンに影響を与えたのは、1998年のフランスワールドカップだった。ジダンやアンリ要するフランス代表がワールドカップで優勝し、自身もフランス代表のユニフォームを着て、同じ事をしたいと思うようになる。

子供の頃は、リヨンのファンで、少年時代にリヨンのトライアルを受けるも、小さく、華奢で、入団を断られた。その後は地元のマコンのチームでプレーするも、プロサッカークラブが運営するユースアカデミーの機会を求め、何度かトライアルを受けたが、受け入れてもらえなかった。家では父親が母親に「息子はまた断られた。また次回トライする」が口癖のようになっていた。幼いグリーズマンはそれでも自分を信じ、毎試合一生懸命頑張った。

そんな中、2005年(当時14歳)にモンペリエのトライアルの一環で、パリ・サンジェルマンのユースと親善試合を行う。そこで、レアル・ソシエダのスカウトの目に止まり、トライアルのチャンスを与えられ、スペインに移住する事になる。学校に通いながらではあったが、小さく華奢な体のせいもあってか、ソシエダのユースからトップチームでプレーするまでに4年かかり、18歳でトップチームへの昇格を果たした(2009-10シーズン)。当時のソシエダは2部だったが、この年、グリーズマンも39試合に出場し、6ゴールを決めて、2部優勝に貢献。1部昇格を決めた。

代表では、早くにフランスを離れたグリーズマンを協会は認識していなかったが、レアル・ソシエダでデビューを果たした後、2010年に自国フランスで開催されたU-19の欧州選手権に、グリーズマンも招集され、見事優勝に貢献し、大会のベストメンバーにも選ばれた。

フル代表では、2012年11月に、本来トレーニングベースに滞在するべきだったにも関わらず、パリのナイトクラブにいたとして、フランス代表から一年以上の謹慎処分を受ける事もあった。

その後、代表で最も輝いたのは、2016年にフランスで開催された欧州選手権だった。グリーズマンは、7試合に出場し、6ゴール、2アシストの活躍をして、決勝で惜しくもポルトガルに敗れたが、フランスを準優勝に導き、大会得点王にも輝いた。
グリーズマンのユーロの全ゴールは↓

ロシアワールドカップでは、今のところ、PKによる2得点に止まっているが、優勝する為には、グリーズマンの更なる活躍が期待される。

アルゼンチン戦のハイライトは↓ (グリーズマンもペナルティから得点している)