ワールドカップストーリー: デ・ブライネ

ベルギー代表がブラジル代表を破り、1986年以来の準決勝進出を決めた。この試合でマンオブザマッチに選ばれたデ・ブライネ。

ブラジル対ベルギー代表のハイライトは↓(デ・ブライネの得点シーンも有)


現在のフットボールにおいて、デ・ブライネが最も優秀なプレイメーカーの1人であることに異論はないだろう。2017-18シーズンには、所属するマンチェスター・シティでプレミアリーグ最多の16アシストを記録し、リーグ優勝に貢献した。
そんな彼の幼少時代やバックグランドは、どうなのだろうか?

ヘント時代のデ・ブライネ

デ・ブライネは1991年6月28日にベルギー人の父親とイギリス人の母親の下に生まれた。母親は、アフリカのブルンジ出身であり、デ・ブライネの母方の祖父は、アフリカで石油会社を経営していた。そうした環境の下、デ・ブライネも幼少期をイギリスやアフリカで過ごした。そんな影響もあって、イギリスのフットボールを見て育ち、リヴァプールのファンだった。お気に入りの選手は、イングランド元代表のマイケル・オウェーンだった。語学も堪能で、フランス語、オランダ語、英語、ドイツ語の4ヶ国語を喋れる

そして、4歳の頃には、フットボールを初め、すでに小さい頃からフットボールで目立っていた。彼には、一生懸命なフットボールへ取り組みと決意があった。

子供の頃のチームメイトは、デ・ブライネについて次のように語った。「彼にはものすごい情熱があったね。他の子供がフットボールを純粋に楽しんでいる一方で、彼はいつも試合に勝ちたがっていた。そして、もっとボールを持ちたい、もっと得点したいっていう気持ちを持っていた。他の子供にはない洞察力があったんだ。」

デ・ブライネがユース時代にヘントでタイトルを獲得する一方で、この頃のベルギーフル代表は、人気がなく、変革が必要な時期に来ていた。そして、ちょうどそんな時に、メディアはデ・ブライネを未来のスタートして、取り上げた。他のベルギークラブのユーススカウトも彼を放ってはおかなかった。そして、14歳でKAAヘントからKRCヘンクに移籍した。家族から離れて生活し、家族に会えるのは、週末だけだった。デ・ブライネは当時について、「両親が教えてくれた事は自分自身をマネジメントする事だね。自分で料理も作っていたよ。」と振り返っている。

ヘンクのチームメイトはデ・ブライネについて、次のように語った。「今のように物静かで、シャイだったけど、フットボールに集中していて、ピッチにたつと、少し怒りぽっかったね。それは勝ちたいからでもあったんだ。」デ・ブライネは感情を表に出すこともあるが、ピッチでも、比較的物静かな選手と言えるだろう。謙虚なデ・ブライネは、ピッチの外でも同じ姿勢を保つ。友達へのWhats Appのメッセージの返答も、さっぱりした、ドライな対応だとして、友達は彼の事をタンブラードライヤーと呼ぶ(笑)。

だが、彼のテクニックやパス、ロンングシュートに文句をつける人はいないだろう。かつて、イタリアの芸術家、レオナルド・ダヴィンチは「シンプルこそが、究極の洗練である」と語った。これを踏襲するかのように、デ・ブライネは、2014年に自叙伝「Keep it simple」(単純にする、シンプルにする)を出版した。プライベートでも、ピッチでもシンプルにする事を好むと語っている。

今回のベルギー代表は、アザール、デ・ブライネ、ルカクなどを要し、黄金世代とも呼ばれている。デ・ブライネはシンプルにプレーして、黄金世代のベルギーを決勝、ひいては、優勝に導けるか、注目である。 


最後におまけのおもしろ映像↓

デ・ブライネ「何か言えよ!!ビデオなんだから」とマンチェスターシティのデルフにツッコミをいれている😂