ワールドカップストーリー: エンゴロ・カンテ – 遠かったプロへの道

エングロ・カンテは現在、世界屈指の守備的ミッドフィルダーだ。フランスのワールドカップ決勝進出になくてはならない存在だった。だが、6年前のカンテは、プロの選手になれるかもわからない瀬戸際にいた。彼は一体どのような道を辿ったのか?


カンテは、マリからフランスに移住した移民の子供として、1991年3月29日生まれた(現在27際)。98年には、ジダンやアンリといった移民の選手が自国フランスワールドカップで優勝するのを目の当たりにする。そして、カンテは11歳の時に父親を亡くしている。カンテは小柄で、謙虚で、物静かな少年だった。カンテは小柄な為に、サッカーでは、人一倍頑張らなければならなかった。

2012年、小柄なカンテはフランスの3部常連のチームでレギューラーメンバーにも定着できないでいた。さらに少し前にさかのぼると、カンテは複数のクラブに断られ、ブローニュのリザーブチーム(6部)でのチャンスを与えられ、そこでチームの5部昇格に貢献した。2011年、当時20歳の時だった。2016年にレスターでプレミアリーグ優勝を果たしたカンテは当時の事を次のように振り返っている。「プレーしていたのは、リザーブチームで、ブローニュは6部だった。そして、5部に昇格させて、3部のブローニュのトップチームに自分も昇格できたんだ。シュレンニュという環境を離れて、ブローニュでプレーし、やっと自分がプロのフットボーラーとして、成功したいという強い気持ちを持ち始めて、成功できると信じ始めたんだ。」

そして、そこからプロとしてデビューするのに、もう少し時間がかかった。20125月、2部にいたチームはすでに3部降格が決まっており、当時2部に降格していたモナコ相手にリードされてのプロ初出場だった。そのデビューは、今のカンテとは程遠い、夢のようなデビューではなかった。だが、彼は、与えられたチャンスをものにする事の重要さを知っていた。次シーズンのカンテは、3部で印象づけるようなパフォーマンスをみせ、ブローニュのトップチームに入ったのだ。

「ブローニュで、技術的にも、戦術的にも多くの事を学んで、すごく上達したんだ。その頃は、プレミアリーグでプレーするなんて、思ってもいなかった。ブローニュへ行った時には、プロフットボーラーになる事、トップチームでプレーする事が野心だった。そして、トップチームでプレーできた時は、嬉しかったね。」

ブローニュのチームメイトは当時を振り返る。「一緒にヨーロッパリーグを見ていて、言ったんだ。いつかはおまえがその試合でプレーしているんじゃないかって。」そしたら、彼は笑って、言ったんだ。「その可能性はないよ」って。

2012/13シーズンは、38試合中37試合をプレーして、ブローニュは13位でシーズンを終える。この活躍が2部のカーンの目に止まり、移籍することになる。そして、カーンに移籍したカンテは、カーンの1部昇格にも貢献し、次シーズンも1部残留に貢献した。

2011年から2014年の約3~4年間でフランス6部から1部へまで登りつめたカンテは、適応能力と上達した力を示して、大きなキャリアアップを果たした。そして、この後、レスターへ移籍。その後の活躍は誰もが知ることになる。

守備的ミッドフィルダーとして、危険を察知し、パスコースを切り、インターセプトする能力は、卓越したものがある。フランス優勝には、カンテの存在は欠かせない。