ワールドカップストーリー: ラキティッチ

クロアチア代表の中で、クロアチアでフットボールのキャリアをスタートさせた選手と、独立戦争の為に、家族が海外に亡命した選手達がいる。ラキティッチは、後者の部類に入る。

今まで、選手としての成功の裏にあった苦悩を紹介してきたが、ラキティッチの場合は少し違う形で紹介したい。

 

現在はボスニア・ヘルツェゴビナの指揮を取るプロシネチキ

ラキティッチの両親はクロアチア出身で、戦争開始前にスイスへ移住した。スイスで育ったラキティッチだが、クロアチア出身のプロシネチキが彼の小さい頃のアイドルだった。プロシネチキはクロアチアの英雄で、レアルマドリード、バルセロナ、セビージャでもプレーしていた。フランスワールドカップで、日本とも対戦している。

スイスの学校に行き、スイス人の友達に囲まれて育ったラキティッチのクロアチア人としてのアイデンティティは、プロシネチキとクロアチア代表だった。

ラキティッチの夢は、はっきりとしていた。プロシネチキになる事だった。

「彼と同じようにスペインでプレー出来て、セビージャのキャプテンに 指名された事は、信じられないくらい素晴らしい事だった。」とラキティッチは当時を振り返る。

ハリウッド映画のような話
それは、2011年。ラキティッチが21歳の頃だった。ラキティッチはシャルケで4年間プレーし、スペイン、セビージャへの移籍間近だった。翌朝に検査を受けて、契約書にサインするだけだった。そんなラキティッチは前日にセビージャ入りしていた。兄デヤンと共にクラブ関係者とホテルでディナーをした後、ラキティッチは緊張して、寝れないだろうと思っていた。そこで、兄に次のように言った。「一杯飲んで、それから寝ようよ。」その言葉が彼の人生を変える事になる。

スペインへの移籍は、ラキティッチにとって、次なる大きなステップで、リスクでもあった。新しい国、新しい言葉。若かったラキティッチが緊張するのも無理はない。そして、”その女性”は、たまたまそのホテルのバーで働いていたのだ。「(初めて彼女を見た時) 彼女はとても綺麗で、まるで映画のシーンのように、全てがスローモーションだった。」しかし、ラキティッチはHola(オラ: スペイン語でやあ等、挨拶に使われる)ぐらいしかスペイン語を話せなかった。スイスで生まれ育ち、ドイツ語、英語、イタリア語、フランス語、クロアチア語は喋れたのにも関わらずである。兄に言ったんだ。「ウェイトレスを見たかい?ここセビージャでプレーして、あの女性と結婚する」って。その発言に兄は笑っていた。ジョークだと思ったに違いない。

次の日から家を探す間の3ヶ月間はホテル住まいだった。ラキティッチが彼女の事を知っているのは、彼女の名前がラケルという事だけだった。彼女は英語を喋れず、ラキティッチはスペイン語を喋れない。そんな風にして、ただ毎日が過ぎていた。「おはよう、ラケル。コーヒーとファンタ・オレンジを」の繰り返しだった。

「上手く説明できないけど、誰かと会った時に、時々いつもと違った感覚があるんだ。彼女を見る度に、自分の中で、爆弾が爆発したかのようだった。」毎週毎週ゆっくりスペイン語の言葉を学び初めて、説明に困ったら、身振りを使って、彼女に言いたい事を説明していた。まるで、ターザンとジェーンの映画のようで、彼女は面白いと思っていた。「すごくコーヒーを飲んでいたね。馬鹿げているくらいに。20、30回は頼んでいたんじゃないかな。でも彼女はノーとは言わなかった。その後、自分の家に引っ越して、すごく悲しかったのを覚えている。多分もう終わりだと思ったんだ。でも諦めなかった。町まで車で行って、いつもホテルでコーヒーを飲んでいた。彼女が働いていなければ、他の場所に行っていた。彼女がいれば、良い一日だった。その頃には自分のスペイン語も上達して、もう少し喋れるようになっていた。いつでも、スペインのテレビやラジオを見ることを自分に課したんだ。」

彼女はなかなかラキティッチの誘いに応じなかったが、後にラキティッチに次のように説明した。「フットボーラーは、翌年には、違う場所に移籍する事もありえるので、悪いけど、ノーよ。」「自分は一番背が高いわけでもないし、彼女は、自分の事をフットボーラーとして、そんなにイケていなくて、セビージャが夏に自分の事を売るだろうと思っていただろうね。トレーニングでのモチベーションは、チーム内で自分を確立する事だった。そして、ようやくラケルはディナーの誘いに応じてくれたんだ。7ヶ月はかかったんじゃないかな。自分の話は、町のみんなが知っている話になっていて、バーにいた人がメッセージをくれたんだ。」”仕事じゃなくて、姉妹揃って、ホテルのバーにいる。”

ラキティッチは友達とホテルまで向かい、彼女の横に座ってこう言った。「今日は働いてないんだね。じゃあ、ディーナーを一緒にする時間があるね。今日から始めよう。さあ、行こう。」と。そして、友達と姉妹で出かける事になる。ラキティッチは次の日もランチで彼女と会っていた。それ以来、ラキティッチと彼女はずっと一緒である。「人生の中で一番大変だった事じゃないかな。チャンピオンズリーグを獲得するより大変だったね。」とラキティッチは語る。

憧れのプロシネチキのようになる事。憧れの女性と結婚する事。一見不可能に思えるような事でも、諦めずに、邁進してきたラキティッチ。

すでに代表でも、プロシネチキが残したワールドカップ3位という成績を超えたラキティッチ。自国に初のワールドカップのタイトルをもたらせるか注目である。