ストーリー:フェルナンド・トーレス 神の子からレジェンドへ

フェルナンド・トーレスは、1984年3月20日にマドリードから20km程離れたフエンラブラダで生まれ、年上の兄を追うように、ゴールキーパーとして、サッカーを始めた。アトレティコ・マドリードのサポーターであった祖父は、幼いフェルナンドをビセンテ・カルデロンに連れて行き、結果として、アトレティコ・マドリードがプロサッカー選手としてプレーする初めてのクラブとなった。

子供の頃のサッカーの影響について、トーレスはキャプテン翼の存在も挙げていた。「学校では、日本からきたサッカー漫画について、みんなが話していたんだ。サッカーを始めたのはこの漫画のおかげだよ。」幼いトーレスは、その後、ポジションをゴールキーパーから、ストライカーへ転向し、10歳の時には、ラージョ13でプレーし、1シーズン55ゴールをあげ、11歳でアトレティコのユースに加入。そして、15歳でアトレティコ・マドリードとプロ契約果たした。当時のアトレティコは、現在のような強豪チームとはほど遠く、1995-96シーズンに現在のシメオネ監督が選手としてプレーし、リーグ優勝とコパ・デルレイ優勝を達成するも、1999-2000シーズンには2部に降格。トーレスは2部でデビューした。

2002-2003シーズンには1部へ復帰し、13得点を決める。2003-04シーズンには35試合で19ゴールをあげ、リーガの得点ランキング3位にランクインした。そして、若干19歳でキャプテンマークをつけることになる。将来を有望視された天才は、いつしかEl Nino(エル・ニーニョ)神の子と、呼ばれるようになり、ビッククラブからも注目を集める。そして、2006-07シーズン終了までには、少年時代から過ごしたクラブでリーグ戦214試合82ゴールをあげ、アトレティコの英雄としてチームを去ることになる。

トーレスが次のクラブとして選んだのは、2004-2005シーズンにチャンピオンズリーグでイスタンブールの奇跡を果たしたリヴァプールだった。ここからトーレスのキャリアの栄光期へと入る。プレミアリーグデビューとなった2007-08シーズンに、リーグ戦で24ゴールをあげると、リヴァプールファンはトーレスを新しい英雄として崇拝した。この年、PFAの最優秀選手賞を受賞。

 

リヴァプール(2007-11)でのトップ10ゴールは↓

また、トーレスは代表でも輝きを放つ。EURO2008では、決勝でドイツ相手にゴールを決めて(動画)、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、1964年以来のスペインのユーロ制覇に貢献する。この大会で自身もベストイレブンに選ばれた。

 こうした活躍をきっかけに、チェルシーやヨーロッパのビッククラブへの移籍が噂されるが、移籍を否定し、いずれは、アトレティコ・マドリードに戻って、やり残した事を成し遂げたい事を語っていた。

その後は、度重なる怪我で本来のスピードや好調なパフォーマンスを失い、かねてから噂のあったチェルシーへ移籍し、ここぞという場面でゴールを決めるも、以前のように得点できず、苦難の日々が続いた。代表では、南アフリカワールドカップで優勝メンバーに名を連ねるも、フォワードはビジャが中心で控えが多かったが、一方で、2012年のユーロでは得点王に輝き、優勝に貢献した。

2014-15シーズンには、ミランからローンで念願のアトレティコへの復帰を果たし、2016年には、アトレティコの選手として、通算100ゴールを決め、次第に調子を取り戻していった。そして、今シーズン、アトレティコでヨーロッパリーグ優勝を経験し、アトレティコで悲願の初タイトルを獲得した。そして、ホームでの最終戦でエイバル相手に2ゴールを決めて、アトレティコへ別れを告げた。アトレティコでの通算得点を129点として、クラブ歴代得点ランキング5位につけた。若干15才でデビューしたストライカーは、クラブのレジェンドとなった。

アトレティコの最終戦のハイライトとセレモニーで終わりにしたい。