ストーリー: サッリは何故チェルシーの最良の選択肢なのか?

チェルシー就任の記者会見でサッリ監督は、”楽しむ事”を繰り返し語っていた。この姿勢は、昔も変わらない。

印象的だったのは、2016年にサッリは次のように語っていた。「自分のチームが守って、カウンターを仕掛けているのを30分見たら、銀行(サッリの前職)に戻るだろう。なぜなら、楽しめないからだ。」フットボールにおける美しい試合は、ファンの耳に音楽を届けるのと同じようなものだ。

数年前まで、マウリツィオ・サッリの名前を聞く事がなかったのには、理由がある。眼鏡をかけ、タバコをふかすイタリア人は、ルイス・エンリケやカルロ・アンチェロッティのような名声を手にしていたわけではなかった。「賞を獲得する事が、自分に満足感を与えてくれるわけではない。」とユヴェントスのアッレグリ監督を押しのけ、2015/16シーズンのイタリア監督賞(Panchina d’Oro)受賞時にサッリは語っていた。

90年代初頭、サッリは、日中は、銀行員として働き、夜間は、アマチュアの監督として働いた。アマチュア5部から監督してのキャリアを駆け上がり、2012年には、当時セリエBだったエンポリが彼を監督として迎えたのだった。初年度は、セリエB4位で終え、昇格プレイオフまで進むも、決勝で敗れたが、翌年は、セリエB2位で終え、セリエAへの昇格を決めたのだった。53歳にして掴んだ初のひのき舞台だった。

チームの懸念は、翌年に降格する事だったが、セリエA15位で終え、攻守にわたって、流れるようなフットボールを見せ、評論家は彼のチームを”コーチングの勝利”と表現したほどだった。一方で、ナポリがサッリを監督として迎えた時、ナポリで英雄のマラドーナは、サッリの事を「10位でシーズンを終えるのに、苦戦するだろう。」と皮肉交じりに語った。だが、エンポリでの彼の仕事ぶりは、専門家達の間では、認識されていた。ACミランの一時代を築いたアリゴ・サッキは、ベルルスコーニに、「ミランでもう一度一時代を築きたいなら、ある監督の名前を挙げる事が出来る」とアドバイスしていたほどだった。

サッリのフットボールは、相手に高いプレッシャーをかけ、早いパスで、ボールを保持する事に注力したスタイルで、活気に満ち、スリルに富んだフットボールとして、有名だった。そのスタイルの象徴的な存在でもあるグアルディオラは、サッリの率いたナポリのフットボールをヨーロッパで最も美しいフットボールと賞賛した。

その一例を見てみよう

ジョルジーニョは、サッリのシャビ的な存在で、彼のビジョンがチームを体現し、真ん中から、ボールをコントロールする。サッリが監督就任早々、ナポリからジョルジーニョを獲得したのもうなずける。

サッリは、生粋のコーチでもある。ナポリの監督就任時に、セリエAのトップ10の中で最も失点率が高いディフェンスを移籍で補強したいかと尋ねられると、「問題は、トレーニングで正す。」と言い、次の2年間で、ユーヴェに続いて、最も守備が堅いチームへと導いたのだった。

その典型例はクリバリだった。クリバリは、ナポリでプレーするほど、素質がないと思われていた。ミスも多く、サッリの早いパス・スタイルでプレーする能力には欠けていた。だが、サッリは、代わりを探すのではなく、クリバリとトレーニングで何時間も費やし、ヨーロッパで最も素晴らしいセンターバックへと成長させたのだった。クリバリは、サッリを独創的なコーチと称賛し、フットボールを新たなビジョンで見るようになったと語っている。

サッリは、守備的な動きを検証し、改善する為にドローンを使うほどだ。サッリの細部へのこだわりは、彼を”ミスター33”と呼ばせた。なぜなら、33のセットプレーを日課として、準備していたからだ。

サッリの試合へのプラニングについて、ベルギー代表のメルテンスは次のように語った。「彼は、すでに頭の中で試合をしたかのようだった。サッリは自分にフットボールを教えてくれた。」メルテンスは、1シーズンで34ゴールを記録し、サッリの下で開花した選手の1人でもあった。インシーニェも一流のウィンガーではなかった。ベニテス監督の下では、2シーズンで5得点に止まり、ナポリのファンからヤジを飛ばされたほどだった。サッリのキャリアには、浮き沈みがあったかもしれないが、アマチュアのフットボールから深みを学び、イグアインさえも、セリエAのシーズン最多得点記録へと導いたほどだった。

サッリがチェルシーでフットボールをエンターテイメントとして、楽しませてくれるか注目したい。

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