レジェンド: ロナウド(フェノーメノ)

フットボールにおいて、「誰が偉大な選手か?」と聞かれれば、ペレやマラドーナの名前が挙がるだろう。では、”過去20年”において誰が偉大な選手か?と聞かれれば、ロナウドと答える人が必ずいるだろう。クリスチャーノ・ロナウドではない。「ブラジルのロナウド」、もしくは、「オリジナルのロナウド」と。今回、元ブラジル代表のロナウドを紹介したい。

ロナウドに対する有名選手のコメント
ジダンは、今迄一緒にプレー、もしくは、対戦した選手の中で、誰が1番かと聞かれると、ためらう事なく、元レアルのチームメイトだったロナウドを挙げる。「彼は、いとも簡単にボールを扱う。毎日、一緒にトレーニングしても、違う何かを、新しい何かを、美しい何かを見るんだ。」

メッシは、ロナウドのついて次のように語る。「今迄見た中で、最高のストライカーだね。彼は、とても速いし、何もない状況から得点する事が出来る。シュートは他の誰よりも上手い。」

日韓ワールドカップでロナウドと共にプレーした、元バルセロナのロナウジーニョは、ロナウドについて、「最も完全なストライカーだ。」と答えた。

イブラヒモビッチはサッカー選手のアイドルを聞かれると、ロナウドと答える。「フットボーラーとして、ロナウドは完全だ。ロナウド以上に良い選手は今後も現れないだろう。」と語った。イブラのドリブルやフェイントは、ロナウドのテクニックを真似ている。

モウリーニョは、ワールドカップの歴代得点記録がロナウドからクローゼに塗り替えられた時に、「ロナウドは最高の選手で、その記録を塗り替えられるのは、残念だ。」と語った。

ロナウドの簡単なプロフィールは下記の通り。
プロフィール
本名: ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマ
国籍: ブラジル
出生地: リオデジャネイロ

生年月日:1976年9月22日 (41歳)
身長: 183 cm
ポジション: ストライカー
<クラブ>
クルゼイロ(1993-94), PSV(1994-96), バルセロナ(1996-97), インテル(1997-2002), レアル・マドリード(2002-07), ACミラン(2007-08), コリンチャンス(2009-11)
<主なタイトル>
ワールドカップ(2002), コパ・アメリカ2回(1997, 1999), リーガエスパニョーラ, UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)(1997-98)等々
<個人受賞歴>
バロンドール2回(1997, 2002) , FIFA最優秀選手賞3回(1996, 1997, 2002), セリエA最優秀選手賞(1997-98) 等々

プレースタイル
ピーク時は、爆発的な加速力とスピード、パワーにテクニックを兼ね備え、得点能力の高いストライカーだった(エールディヴィジ得点王、リーガエスパニョーラ得点王、日韓ワールドカップ得点王等)。利き足は右足だが、両足で得点でき、シュート時も落ち着いている。ペナルティーエリアの中からも、外からも決める事ができ、ヘディングでも決められる。ボールコントロール、ドリブルのスキルに長けており、何人もディフェンダーやゴールキーパーを交わして、ゴールするシーンもよく見られた。特に、ストライカーがミッドフィルダーの位置まで下がって、ボールを受ける事はこの頃は珍しかった。イタリア代表でチャンピオンズリーグを2度制したネスタは、ロナウドの事を次のように語っている。「自分のキャリアの中で、最悪の経験だった。ロナウドは最も対戦するのが難しかった攻撃の選手だ。止めるのは不可能だった。」ロナウドは、視野も広く、パス能力にも長け、アシストも出来る為、それが一層、ロナウドを止める事を難しくさせた。

プレー動画
実際に映像でプレーを確認してみたい。
1) 98年フランスワールドカップ 準決勝オランダ戦
スペースへの動き出しが早く、絶妙。オランダ代表で、バルセロナでもプレーしたコクー選手にユニフォームをつかまれても、物ともしない。最後は、ゴールキーパーのファンデルサールの股を抜く落ち着きよう。このゴールは、ブラジル代表のワールドカップ歴代得点の中で、22位に選ばれた。

2) 2002日韓ワールドカップ準決勝トルコ戦
相手ディフェンダー3人に囲まれながら、間合い、タイミングを上手く外して、トゥーキック(つま先)で打ったシュート。これは、ロナウド選手しか出来ないだろう。このゴールは、ブラジル代表のワールドカップ歴代得点の中で、19位に選ばれた。

3) UEFA Cup 1997-98 対スパルタク・モスクワ戦(インテル在籍時)
ピッチコンディションが悪い中、チリ代表サモラーノとのワンツーから、トラップでディフェンダーを置き去りにし、最後はゴールキーパーも交わす。

4) チャンピオンズリーグ準々決勝(アウェイ 対マンチェスターユナイテッド戦)
ジダン、フィーゴ、ロベルト・カルロスを要するレアル・マドリード。オールド・トラッフォードで、マンチェスター・ユナイテッド相手にロナウドは、ハットトリックを決めて、スタンディング・オベーションを受けた。


【ストーリー】 悪夢との戦い
ブラジル元代表のカフーは17歳のロナウドをこう振り返る。「ロナウドが初めてプレーするのを見たのは、
クルゼイロの時だった。彼はまだ子供だったけど、最終的には、その試合で5ゴールを決めたんだ。その時から、並外れている事を周りに示していたね。」その後、活躍の場をヨーロッパに移し、オランダのPSVでエールディヴィジ得点王(’94-95)に、バルセロナでリーガエスパニョーラ得点王(’96-97)になったロナウドの次の移籍先はインテルだった。97年当時の移籍金額としては最高額の2800万ドル(約30億円以上)でのインテル移籍だった。1989年以来、タイトルから遠ざかったているインテルにとって、ロナウドの加入は大きな期待が寄せられ、前年度のシーズンチケットの売上枚数が1万6千枚だったのに対し、ロナウドの移籍後は5万1千枚と、3倍以上伸びた。また、スポンサーのピレリは、コルコバードのキリスト教像にロナウドを重ね合わせる広告を展開し、話題にもなった(写真の通り)。1シーズン目から、リーグ戦34試合25得点を記録したが、インテルは勝ち点5点差でユヴェントスにスクデットを明け渡した。だが、UEFA Cup(現在のヨーロッパリーグ)では、決勝に進出し、ラッツィオ戦でロナウドがゴールを決めて、タイトルを獲得した。この年、ロナウドはバロンドールも受賞した。

98年のフランスワールドカップは、94年のアメリカ大会に次ぐ、ブラジル国民の優勝の期待を一心に背負った大会でもあった。ロナウドは、4ゴール3アシスタントの活躍を魅せ、フランスとの決勝に進むも、プレッシャーからか、決勝前に痙攣(てんかん性痙攣)を起こし、意識を失った。そして、一時は決勝のスタメンから外され、メディアを騒がしたが、病院から戻ったロナウドは、万全でない中、決勝に出場。しかし、エースの調子は、チームにも影響を及ぼし、ジダン率いるフランスに3-0と敗れた。

 

フランスワールドカップ後、代表では、99年のコパ・アメリカでも優勝した。だが、1999-2000シーズン以降、怪我の悪夢がロナウドをおそう。11月のレッチェ戦で右膝の腱(けん)を断裂したロナウド。その後、復帰しては、同じ怪我を繰り返した。2000年4月のコッパイタリア決勝で出場したが、たった7分間プレーしただけで、再び腱を断裂し、ピッチを去った。2000-2001シーズンはほとんどプレー出来ず、当時まだ24歳のロナウドだったが、誰もがロナウドのキャリアは終わったと言うようになった。

だが、ロナウドには、やり残した事があった。それは、ワールドカップで優勝し、フランスワールドカップのリベンジを果たす事だった。2001-02シーズン終了数ヶ月前にインテルに復帰し、10試合に出場すると、7得点を記録した。この活躍もあり、ブラジルのスコラーリ監督はロナウドを信じて、日韓ワールドカップで起用した。

そして、大会が始まると、ロナウドの大会得点王になる活躍もあり、決勝まで勝ち進んだ。横浜国際競技場で行われた、ドイツとの決勝戦では、ドイツ代表のカーンを相手に2得点を決めた。2得点目のゴールシーンを下記に動画で掲載した。ロナウドのゴールも素晴らしいが、その前のリバウドのスルーも上手いこのゴールは、ブラジル代表のワールドカップ歴代得点の中で、11位に選ばれた。

 そして、見事、決勝でブラジルはドイツに勝ち、ワールドカップのリベンジを果たしたロナウド。優勝後、「悪夢は終わった。」と語った。この時のロナウドの髪型も大五郎ヘアとして話題になった。ワールドカップ優勝後は、怪我の間、支えてくれたインテルを離れ、レアル・マドリードに移籍したのだった。そして、この年、ロナウドはバロンドールを獲得した。

【スタッツ】

ロナウドは、クラブと代表を合わせて、616試合に出場し、414ゴールを決めている。代表のゴール数(62)は、ブラジル代表歴代得点記録で2位。1位は、ペレの77ゴールである。また、3位はネイマールの57ゴールで、抜かれるのも時間の問題かもしれない。

クラブと代表の両方を考慮した、1試合あたりの平均得点数は、0.67得点。3試合中2得点は決めるというペースである。この数字は、高い数字と言ってもいい。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)
FIFA
UEFA 他
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